「勉強」と「運動」の違い

ekken♂:劣等感を与えることも教育の一つだと思う


この文章のある部分を読んで、目から鱗が落ちた。
ある部分を引用してみる。

成績順を発表しない理由が「劣等感を与えないため」というのが事実なのだとしたら、勉強は出来るけど運動能力に劣る子供は劣等感を覚える事は多いのに、優越感を得る機会を失われているのがどうにも納得できない。


言われてみれば当たり前のことだけど、意識してなかった事だった。
自分自身、球技全般が非常に苦手なんで、中学の時、体育の授業でサッカーやバスケをやったときの劣等感、屈辱感は未だに忘れられない。
学校生活に限ったことではないが、「勉強は比べちゃダメ、でも運動は比べていいよ」という風潮は問題だと思う。
運動が得意な人が、勉強を得意とする人よりもスクールカーストが高いっていうのも、運動が、他と比較して当然だと思われてることにもつながっているかもしれない。


あと、この文の本題でもある「劣等感を与えることも教育の一つ」っていう事にもとても納得。

勉強の出来ないものが劣等感を味わう機会がないと、その子は成績を上げようとする努力の機会を失うのではないか。教科別に成績が発表されれば、苦手科目をがんばろうとか、得意分野を更にのばそうという意欲が生まれないのではないか。


僕が通っていた高校は、学年共通で受ける模試で、上位成績者たちの名前を毎回貼り出していた。
そこに自分の名前が載らなかったときは悔しかったし、名前が載るようになってからは、優越感と、成績落ちたらどうしよう、という不安から勉強にも精が出た。
少なくとも、自分のような負けず嫌いな人間にとっては、他人との比較評価は自分を高める上で大事なことだと感じた。